2025.08.09
#9 生まれた街で
夏の朝は早い。
セットした目覚ましよりもだいぶ早く、カーテンの隙間から鋭く漏れる光が瞼の向こうから朝を告げる。新しく越したばかりの部屋は日当たりの具合が丁度よく、午前の室内を柔らかく照らす心地よい光に惹かれた。
力強い朝陽がぐぐーっと部屋の気温を持ち上げていく瞬間。子供のころ、夏休みのラジオ体操で味わったかのような、日光がゆっくりと体に染み込み体が目覚めていく感覚。これまでどちらかといえば夜型で朝はギリギリまで寝ていたいタイプだったが、今は毎朝カーテンを開けるのが楽しみで朝のゴミ出しも苦にならない。 今年に入り自身の健康を見つめ直したり、伴ってライフスタイルの変化もあり、こうして毎朝を気持ちよく迎えられることが、如何に貴重で幸福なことかと実感している。
身仕度中に一息ついて音楽をかける余裕も生まれたのだから、太陽の力はすごい。こうした人生の節目のタイミングに、昔よく聴いた好きな曲を改めて聴き直していることが多いなとふと思う。今回は引越の荷造り中からずっとユーミンの曲を聴き齧っている。おそらく物心つくかつかないかという頃から自然に聴き馴染んでいる、可愛らしくもちょっとあっけらかんとした歌詞や色褪せないバンドサウンドは、まだ少し新しい匂いが残る部屋を優しく包み込む。
かつてよく聴いていた音楽や、季節特有の匂いや色を感じた時、過去の自分の姿や目にしていた日常の風景、一緒に過ごした人のこと、さまざまな記憶が呼び起こされることがきっと誰しもあるだろう。私にとって当時を振り返るのに音楽は欠かせない要素だが、同じくらい重要なのは、その時に瞳の奥で感じていた色彩や光かもしれない。
私が入社して最初に購入した10号帆布のポーチがある。新人だった当時、筆記具・糸切ばさみ・メジャーなど、仕事で使う道具をなんでも入れて、いつも作業机の傍に置いていた。スリムなマチに無造作に物を詰め込まれ、お腹が膨れたようにコロンと佇むそれは、なんだか少し生き物っぽい。
一見シンプルながら薄マチの帆布2枚仕立てのつくりは実に縫製職人泣かせ。仕様や生産背景の事情でだいぶ前に惜しくも廃盤となってしまったが、シンプルに効かせたステッチとフラップのバランスが上品で、その使い道を縛らない自由な余白がとても好きなアイテムだった。
年月を経て、日焼けと摩耗により柔らかい色合いに落ち着いたブルー。今は外には持ち出すことはなくなったが、あえて作り出すことができないその雰囲気が愛おしく、ずっとデスクの片隅に置いてある。
擦れて剥き出しになった生機の色と染めの境目を見ていると、真新しい鮮明な色味と当時のシーンが、ふわっと曖昧なシルエットではあるのだが、朝昼夜それぞれの空間や光と共に脳裏に浮かびあがってくる。一つ仕事を覚えるたびにワクワクして一番乗りで出勤していた朝、初めての催事イベントで人が往来する中ショーケースを照らしていた秋の透明な光、カーテンのないアトリエの窓は夜になると真っ暗でオレンジの灯とのコントラストの中ミシンを練習したこと、仕事帰りに上司が連れて行ってくれたお店の暖かい雰囲気とグラスの中で眩しく踊る泡。二度と同じ感覚で味わえることはないが、若い頃に覚えた歌と同じで色褪せることもない。
あれから十数年が過ぎ、すっかり仕事もデジタル化が進んだ。昔は布ばかり触っていたのがこうしてPCに向かう時間も大幅に増え、仕事のやり方も、自分自身も、大きく変わってきたことに改めて年月を感じてハッとするが、受け取る情報の形やアプローチの仕方は変わっても、朝の光を幸せと感じるように、日々の何気ない瞬間から歓びの感情を受け取るたび、純粋な心の奥の部分で惹かれる “美しさ” の基準は変わっていないのかもな、とちょっとホッとしたりする。
近年よく業務で写真を撮るようになった。他のスタッフにモデルをしてもらいファインダーを覗いては、「うわーその光めちゃめちゃいいね!最高!」なんて、素人半分ながら素直にはしゃぎ撮影に臨んだりしている。歳を重ねて少し子供っぽさが戻ってきたのかもしれない。それも悪くない。周り周ると、自分の現在地の心地良さやその魅力が改めてよくわかり、その気づきは日々への活力となっていく。
朝陽の差し込む部屋で、荒井由実の「生まれた街で」を聴きながら。
写真・文 / Nao Watanabe
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